第66回北桜祭における災害対策研究班の展示3ー夏季研修のまとめ

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かしまわんぱく広場

所在地 南相馬市鹿島区鹿島字北千倉24番地の1
設計者 仙田満
構造形式 鉄骨構造膜素材屋根(床面:人工芝)
延床面積 約800㎡
竣工 2016年4月

 かしまわんぱく広場は,子育て世帯が安心して子どもを遊ばせることができる環境の確保と,震災以降低下した子どもの体力の向上と健康増進を図ることを目的に設置された。

立地

 立地面は,鹿島小学校と鹿島幼稚園に隣接しており立地に妥当性を見出すことができる。しかし,立地場所の付近に仮設住宅があり,その駐車場の位置に建設したことや騒音などの問題により,近隣の住民の一部は否定的な意見があることもわかった。建設後には,幼稚園や小学校の送り迎えの際の保護者同士の交流など,建設時には考えられもしなかった目には見えない効果が得られた。

機能

 機能面は,かまぼこ型を少し丸めたようなデザイン性を重視する外面となっている。内部は,ネットを設けるなどして,子どもが遊ぶ上で,年齢差のある子どもが怪我をしないように配慮されていた。

防犯

 防犯面では,夜間に施設で宿泊していたことから,雨仕舞や防犯面においてが不十分となっていると感じた。強風への対応も,人の手で開け閉めを行わなければならなく,常駐している職員もいないため大変手間がかかる。

南相馬みんなの遊び場

所在地 南相馬市鹿島区鹿島字広町13番地
設計者 伊東豊雄,柳澤潤
構造形式 木造平屋建
敷地面積 171.37㎡
延床面積 153.34㎡(うち砂場:44.2㎡)
竣工 2016年5月

 この施設は,東日本大震災被災地支援として行っている「みんなの遊び場プロジェクト」により寄贈され,南相馬市では,屋内における子どもの遊び場を提供することで子どもの健全な育成を図ることを目的としている。

 震災後,市内には室内の遊び場が1つもなく,地域の子どもたちの遊び場を求められていた。それらのことより,安心して砂場遊びができる場所が提供された。子ども同士の交流だけでなく,親同士の交流ができる場にもなっている。

立地

 立地面では,上記のかしまわんぱく広場と同様に,鹿島小学校と鹿島幼稚園の近辺に建設された。しかし,アクセスの面において,建物自体が道路から直接見えないことや,施設そのものが見えないことにより,閉鎖的な印象が見受けられる。そのため,かしまわんぱく広場ほどの利用者を集める力はなく,まったく利用されない日もあることが分かった。ただし,建物の設計者が柳澤潤であり,伊東豊雄が企画に携わっていることから,特徴的な意匠による集客が見込める。その特徴的な形を浮かせないために,隣接した児童館の外装もこの建物に近づけた。

機能

 機能面では,室内砂場であるため管理の手間が掛かっている。上記のかしまわんぱく広場同様,雨仕舞が不十分なように感じられた。他にも,出入り口が分かりにくいなど,やはり閉鎖的なイメージが否めない。建物の内部では,天井の梁が見えるような珍しい構造になっている。壁には,新建材のハニカム材を,天井の梁は針葉樹を使用しており,低コストに努めている。現在は,砂場としてのみ運用され,今後はサンドアートや,木工クラフト教室など様々な工夫がなされようとしている。

かしまわんぱく広場と南相馬みんなの遊び場のまとめ

 共通点としては,どちらの施設も親同士の交流の場という機能を持っているが,現状,南相馬みんなの遊び場ではその機能はあまり使用されてないように思う。かしまわんぱく広場は人工芝,南相馬みんなの遊び場は天然の芝であり,人工芝はタバコや花火の火の対策を今後していかなくてはならない。なお,天然の芝は管理の手間も掛かるため,運営を継続していくためには妨げとなり得る。豪雨や台風の際の雨水の処理が不十分で,雨どいは,デザインと機能との兼ね合いで設置か否かが決められる。

 かしまわんぱく広場は,安全対策として,監視カメラで市の職員が確認しており,夜間は開放的であることからブルーライトが点灯し,犯罪抑制効果を期待している。施設内は,広場と二つの遊具が設置され,施設で使用できる道具が限られている。それにより遊びが限定されてしまい,幼児の遊びに飽きが生じると考えられる。しかし,ふわふわドームはいつまでも飽きないという説明があった。今後もたくさんの利用者を獲得するため,幅広い年齢が楽しむため,運営側が努力していく必要がある。

 南相馬みんなの遊び場では,砂場遊びという単機能施設であり,子供たちのマンネリ化が想定される。その解決策として,施設の建設に使用されているような素材を上手く利用したサンドアートや木工クラフト教室などを定期的に開催していくことを視野に入れて運営していくことがある。また,砂場の砂を抜いて幼児用のプールとして活用することや,砂場の部分に板をはめてイベントを行うこともできるかもしれない。安全面では,常時職員の目が届いているが,閉鎖的な環境になっている。両施設の周辺は,教育施設が隣接しているため,比較的施設内外での安全性は保たれている。

みんなの家プロジェクトの他の事例

相馬 こどものみんなの家

所在地 福島県相馬市北飯渕1-15-1 角田公園
設計者 伊東豊雄
構造形式 木質構造
敷地面積 19,807.78㎡
延床面積 152.87㎡
竣工 2016年5月

 2015年2月,「相馬 こどものみんなの家」は市内の未就学児の子どもたちを安心して遊ばせる場所が欲しいという要望に応えるべく完成した。これは,東日本大震災以降,伊東豊雄氏をはじめ多くの建築家が取り組んできた,「みんなの家プロジェクト」の1つであり,「南相馬市 みんなの遊び場」もみんなの遊び場プロジェクトでもあった。

 相馬 こどものみんなの家の屋根は60度ずつふりながら3方向に重ねる作業を3セット,全9レイヤーを重ねたシンプルな構造になっている。その外見は麦わら帽子をイメージとしている。外壁の杉板材は紅白色のストライプとし,一見するとサーカステントのような楽しくひと目見て元気になるデザインとした。

 現在は,相馬市,南相馬市によって管理運営されており,子どもたちが自由に遊びまわり,本を読んだり絵を描いたりと子どもたちの笑顔で溢れている。相馬 こどものみんなの家では定期的に親子ヨガなどのイベントも企画され積極的に地域の方に利用される憩いの場となっている。

南相馬市消防・防災センター

所在地 福島県南相馬市原町区高見町一丁目272番地
設計者 永山建築設計事務所・小堀哲夫建築設計事務所
構造形式 鉄骨造 地上3階,塔屋1階
敷地面積 5049.69㎡(庁舎棟)
延床面積 1198.62㎡(庁舎棟)
竣工 2015年3月

建物紹介 

 南相馬市消防防災センターと相馬地方広域消防署が併設している。センター部分は東日本大震災からの教訓を後世に残し広く一般の方々に災害や対策を知ってもらうため,「東日本大震災から15日間の記録」「津波発生のメカニズム」「全国からのメッセージ」「消防車,救急車紹介」「防災を考える」「高機能消防指令施設の紹介」の展示が行われている。また防災について学ぶスペースがあり,家庭で出来ること,地域で出来ること,南相馬市地震・ハザードマップをタッチパネルを使って見ることができる。

 内部は白い壁に三角形のガラスを組み合わせたトップライトを用いた吹き抜けがあり,内部は非常に明るいものとなっておりスロープで上ることによって中心に吊るされた布に書かれている津波の高さを目で見て感じることができる。外観は黒を基調としたシンプルな造りとなっており,またガラス張りとすることで中を見せ人が入りやすくなっている。

 消防署としては相馬市,南相馬市,新地町,飯舘村から119番通報がすべて集められ,対応する拠点となる消防署である。高機能消防指令施設を備えており,これまでそれぞれで行っていた通信指令業務を同本部で一元化している。119番通報の着信と同時に発信地の地図情報や電話番号が自動表示され,出動場所の特定と出動までの所要時間を短縮できることから,火災被害の軽減や救命率の向上が見込まれている。

ワークショップを経て学んだこと

構造・デザイン

 中央のトップライトによる採光と白い壁によってとても明るい雰囲気となっている。災害による暗いイメージを払拭し,復興に向かって歩もうとしている様子が伺えるような空間を作り出している。黒く落ち着いた雰囲気の外観と,白く明るい感じの内観,角ばりがある外部と,流線型の内部というギャップがあり,外から中に入って来たとき対比の効果によって印象に残りやすい。

 消防・防災センター内から消防車を解説付きで分かりやすく見せており,子供でも分かりやすく,センターを彩るデザインとなっている。センターの職員によると,壁が白く,明るい印象を受けるのがメリットの一つであるが,靴や物がすれて汚れがついてしまった時の掃除が大変であるとのことであった。

津波状況

 消防・防災センターの内部の壁には,津波の高さが実際に分かるように,津波の最大到達点が記載されている。しかし,津波観測所が観測途中で破壊されてしまったため,実際にはもっと高い津波が到達していたとのことであった。自分で階段を上って体で津波の高さを体感することができるので,津波を知らない方でも分かりやすいものになっていた。

 津波発生時から陸に到達するまでの深さや速度などが,分かりやすく示されており,津波が来る可能性があったら迅速に避難しなければなれないということがしっかりと伝わる展示となっていた。また,津波が押し寄せてくる写真が地域ごとにまとめているので,実際に訪れることのできる場所であればその写真と比べることができるだろう。

震災時の記録

 震災から15日間の記録が,文字と写真で時系列順に記録されている。余震の間隔の短さや津波の様子,また,ガソリンや食料などの物資がどのように被災地に入ってきたかなど,当時の状況が想像しやすい展示となっていた。

地域性

 国道6号、市立病院が周囲にあり、立地は良好である。だが消防署と防災教育施設を併設したためか,やや市民などが入りにくい印象があり,来場者が少なく,積極的に利用してほしい防災教育の場があまり生かされていない。しかし,広域消防施設という半永久的に残り続ける公共施設との複合化によって,記録が確実に後世に伝わることは,良い点である。この施設に,市役所や道の駅など,集客力のある他の機能を持つ施設を併設できたら訪れる人がもっと増え,一般の方々に広められるだろう。

考察

 関連施設をいくつか調べた結果,南相馬市消防・防災センターのような震災で起きたことを展示する施設は少なく,災害時の対処法を教える施設となっていたり,避難所となっていたり,消防の歴史を展示する施設となっているのがほとんどであった。このことから南相馬市消防・防災センターは,新しいタイプの消防防災センターであることが分かった。これからの消防防災センターは,災害を記録し,避難所として,また防災訓練を受けられる複合施設となれば良いと思った。

南相馬市消防・防災センターに関連する施設

阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」

 震災当時の記録を展示してある点は南相馬市消防・防災センターと同じだが、消防施設が併設されている防災センターではない。南相馬市消防・防災センターの展示は、文字や写真が中心だが、人と防災未来センターは、実際に震災の揺れを体験できるため、より震災を深く知ることができる施設となっている。

安芸市消防防災センター

 防災に関する知識の普及及び,市民の防災意識の高揚を図るとともに,災害発生時における災害拠点とするための施設である。  災害を記録するための施設ではなく,避難所や消防署として使われている施設となっている。

他にも,南相馬市消防・防災センターに関連する施設として,

・焼津市消防防災センター(静岡県焼津市)
・岡山市消防防災センター(岡山県岡山市)
・四国中央市消防防災センター(愛媛県四国中央市) 
・県南総合防災センター (茨城県取手市)
・いわくに消防防災センター(山口県岩国市)
・福知山市消防防災センター(京都府福知山市)
・藤沢市消防防災訓練センター(神奈川県藤沢市)

などがある。

いわき市久之浜地区

 今回私たちは,久之浜公民館,久之浜漁港,浜風商店街を訪れた。福島県いわき市の最北端に位置する久之浜地区は,雪が降ることも,気温が30度を超えることも少ないという過ごしやすい場所である。久之浜地区には,震災前6000名の住民がいたが,現在は4200名に留まっている。平成23年4月11日午後7時にいわき市が発表した「緊急時避難準備区域」の対象とならなかったことにより,久之浜地区が安全だという知らせをうけ,徐々に帰町が始まった。しかし,約70名の人がまだ仮設住宅から久之浜に帰ってきていない。

久ノ浜公民館

所在地 福島県いわき市久之浜町久之浜字中町32番地
設計者 永山建築設計事務所・小堀哲夫建築設計事務所
構造形式 鉄筋コンクリート造 地上3階
延床面積 2207㎡
竣工 2016年3月

概要

 1階全てがガラス張りでスケルトン構造である。これにより津波が来た際,ガラスが割れて,建物の被害を軽減することができ,扉に工夫がなされているため避難がしやすくなっている。津波避難ビルとして機能はもちろん,デザインも優れているので,久之浜の復興の象徴となっている。

設備

・久之浜住民の1日分の食料,2日分の水が備えられている
・屋上に太陽光発電とディーゼル発電機
・室内のエレベーターは26人乗り
・1階の所々に蹴破れる部分があり避難しやすい
・階段には「ゆっくり避難ルート」と「避難ルート」の表記があり,高齢者や子供たちも落ち着いて避難できる
・震災に関するパネル説明,展示スペースの設置

久之浜漁港

 久之浜は,漁業が盛んな町で,年間8億円の漁獲量を誇った。これには,ブランド魚も含まれており,久之浜の魚を基準に全国の魚の値段が決まるほどであった。また,久之浜からの出荷が遅れたりストップしたりすれば,日本の市場取引に大きな影響が出ていた。現在は,福島第一原発事故による影響が問題となり,水産物だけでなく福島県産の食品全般が風評被害を受けている。現在は試験操業を行い,水揚げした魚の放射線量測定などが行われているにもかかわらず,風評被害はいまだ在り,水揚げ量も事故前と比べると大きく下がってしまった。

 しかし,復興が進んでいないわけではない。今年の10月16日,震災で中断していた「漁業祭り」が6年ぶりに開かれた。この祭りは2001年に始まり,震災前は2万人の人々が訪れた。今回は,試験操業で捕れた魚や水産加工物を売るだけでなく,石川町の関係者による鍋料理や乗船体験が行われた。

語り部阿部さん

 現在,久之浜地区には子供が100名程度しかいない。阿部さんの「子供なくして国滅ぶ」という言葉の通り,このままでは久之浜地区は衰退してしまうと思う。子供が少ない原因は,親が久之浜の放射線量や被災状況を気にしているためだと考察する。しかし,放射線量は震災当時に比べ減少しており,徐々に復興も進んでいる。子供が久之浜地区に戻すためには,適切な情報の提供,公園等の施設を充実させることが必要だと感じた。

 久之浜地区は,地震発生から津波が到達するまでに45分かかったという話を聞いた。この45分が避難する人々にとって充分な時間なのか,そうでないかを考えることが今後避難を想定する上で重要である。また,これまでの避難訓練の対象者は健常者が中心であっ。今後は車いすの人や寝たきりの人を対象とした避難訓練に取り組むことも必要だろう。災害についての啓発意識を高めていくこと,地震・津波を風化させないことの大切さを改めて感じた。

 前述のとおり,阿部さんは,久之浜は漁業なしに復興はあり得ないと話されていた。復興の軸が決まり地元住民にそれが浸透することが,復興には欠かせないことである。

浜風商店街

 震災後,中小機構の「仮設施設整備事業」によっていわき市に作られた,最初のプレハブによる仮設商店街である。「地元で営業を再開したい」という店主と,「買い物をする場所がほしい」という住民の双方の声に後押しされ2011年9月3日にオープンした。現在,9店舗が営業しており,久之浜商工会もここを活動拠点にしている。震災前の店舗は津波で流失し,現在の場所から再建を目指している。場所が移っても,商店街の人々は親切で活気にあふれていた。現在商店街は,小学校の敷地を一部を使って営業を行っている。今後はまちなかに移る計画が進められている。

 商店街の中にある久之浜ふれあい情報館は、久之浜の歴史や,被災当時の写真,最新情報などを扱っており,久之浜の被害状況や復興に向けての取り組みが伺える。毎年3月11日に行われる「復興の花を咲かせようプロジェクト」という「献花の集い」で,商店街のオリジナル商品である「花のセット」を育ててもらい献花する。セットには二次元コードがついており,サイトにアクセスし登録すれば,復興ニュースレター「浜風通信」が送られてくる仕組みで,こうして被災地と遠く離れた場所を繋ぐことができる。

南相馬市小高区

はじめに

 私たち災害対策研究班は,平成28年9月7日に夏季研修で小高区(福島県南相馬市)を訪れた。小高区は2016年7月12日に避難指示解除準備区域が解除され、今後大きな変化が見込まれることから研修地の対象とした。大きな堤防が造られていたり,建物の基礎が無くなっていたりと少しずつだが復興が進んでいると感じたが、依然として人が住める状況ではないと感じた。

震災による小高区への影響

1.人口
2.避難状況
3.公共交通機関
4.教育
5.医療・福祉

に分けて考察していく。

1.人口

 小高区の人口は12842人(震災前)から800人(平成28年9月8日時点)と約6%にまで減っている。5年以上経った現在でも人が戻ってきていない原因は、小高区が福島第一原発から20km圏内に位置するために,避難解除が遅かったことだ。このことが復興計画が妨げられている大きな要因である。

2.避難状況

 小高区は現在も(平成28年9月12日),一部が帰還困難区域に指定されている。南相馬市内では,小高区と原町区の南側一部(約107km²)が20km圏内の警戒区域,残りの原町区と鹿島区の一部(約181km²)が30km圏内の計画的避難区域及び緊急時避難準備区域,残りの鹿島区(約111km²)が30km圏内になっている。

 福島第一原子力発電所の事故を受け,南相馬市はバスでの集団避難や自主避難により,多くの区民が避難した。その後は,自主的な避難が続いた。そして現在では,避難指示解除準備区域が解除されたことから,住民が少しずつ戻ってきている。住民が戻ることで,徐々にではあるが復興は進んでいると感じた。

3.交通機関

 現在JR常磐線(原ノ町-相馬間,小高-原ノ町間),JR東日本の原ノ町-竜田間代行バスの運行は開始済みである。さらに市内仮設住宅と旧警戒区域間を往復する無料ジャンボタクシー,(株)さくら観光(南相馬-東京方面高速バス)の運行も開始している。

 通行が再開することは,復興していく上でとても重要である。アクセスが良いことで,ボランティアや作業員,物資の移動が容易になる。現在6号線は浪江~富岡間で出勤,退勤時間に渋滞が頻発している傾向があり,バイパスを新しく建設すれば,その渋滞の緩和に繋がる。しかし,その時間帯以外の使用を見込むことができない。震災前には,常磐自動車道に小高インターチェンジが開設される計画が平成20年度県に申し入れがなされており,震災前から道路の必要性を住民は感じていた。震災後の2015年11月17日に桜井南相馬市長と高木副経産相の会談が行われ,常磐道の避難指示解除準備区域が解除小高インターチェンジ設置と4車線化の案が手渡された。

4.教育

幼稚園等: 公立幼稚園4園,私立幼稚園1園,保育所1箇 所はいずれも休園中。
小学校 : 小高、金房、鳩原、福浦小学校は鹿島中学校 仮設校舎にて再開済。
中学校 : 小高中学校は鹿島小学校仮設校舎にて再開済。
高等学校: 小高工業高校は市サッカー場敷地内仮設校舎で 再開済。 小高商業高校は原町高校敷地内仮設校 舎で再開済。

 上記の通り,幼稚園等はいずれも休園中であり,小学校・中学校・高校は仮設校舎という形で再開済みである。しかし幼稚園・保育園は再開していない。それは,幼稚園のコミュニティは再編が容易なことに起因するだろう。よって,人間関係や通園の点からも必ずしも決まった土地である必要はなく,避難先でも充分通うことができると考える。また,小学校・中学校・高校は再開しているとはいえ,グラウンドをはじめとする活動施設が充分でないこと等が課題である。

5.医療・福祉

医療施設:市立小高病院,小高病院,市立総合病院,市立総合病院「脳卒中センター」起工(平成27年4月)。計6病院,29診療所で診療することができる。(平成28年4月1日現在) 健康管理:全住民対象のガラスバッジによる個人積算線量測定を実施されている。

 全住民対象のWBC放射線内部被ばく検診:市立総合病院,渡辺クリニック(旧渡辺病院)にて実施されている。18歳以下は年2回,19歳以上は年1回の受診可能である。市内小中学校の児童生徒は年2回の集団検診を実施している。

小高復興デザインセンター
~避難解除とともに始まる小高の復興~

 小高復興デザインセンターは,過去の震災による産物であると感じる。その理由は,「人と人とのつながり」によって,阪神淡路大震災や新潟中越地震が復興した実績があったからである。先ほどの「人と人」というのは,住民と住民でもあり,住民と支援者,住民と行政区とも解釈できる。この広域的な意味での「繋がり」や「協力」があってこその復興だ。時代が進むにつれて,いつしか人と人との繋がりが希薄になってしまったと感じる。そんな,いまの時代に欠如しているものが,小高にはあった。その繋がりを復興によって取り戻すべきではないだろうか。

 小高区が復興のスローガンとして掲げる,<実践と探求>は極めて画期的である。なぜなら,これまでの震災復興は,単に行政が地域を元の状態に戻すものであった。しかし,<実践と探求>には,住民と行政区が手を取り合いながら試行錯誤するという実験的な工程があると思う。この二者が歩み寄り,探り探りになるかもしれないが,復興に挑む姿勢がここから見える。

 ”震災”それは小高区の大きな分岐点になるだろう。小高は「歴史のまち」と言われてきたが,震災も小高の歴史の一部になってしまった。私たちには計り知れないようなつらい思いが,住民にはあるだろう。小高にはこれまでの歴史と共に紡いできた人と人との繋がりがある。ほつれかけそうな繋がりを紡ぎ再び結び直していこう。

おわりに

 小高区復興の目標は帰還する人数ではなく,様々な人から選ばれるまち、「小高」である。住みたいまちとは,住みやすさ,将来性,魅力があると考える。小高区は中心部に商店街が密集していることに住みやすさがあり,まちに点々と佇む歴史的建造物に魅力がある。けれども,まちに人が充分に戻ってきていない今のままの小高は,将来性に欠けると考えた。

 小高を震災前のように,住みたいまちにするためには,少なからず変化が必要であると考える。しかし,その変化の中で小高の魅力である歴史的建造物が,淘汰される事はあってはならない。小高のアイデンティティを生かす復興を試みるべきであろう。

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後藤 寛尚
第64期建築研究会会長
2015年入学。福島県南相馬市出身。