第67回北桜祭展示「建研のこれまでとこれから」

たくさんの方にご来場いただきまして,ありがとうございました。

目次

建研のこれまでとこれから

建築研究会は来年で創設から65年を迎えます。工学部の沿革とともに建築研究会の歴史を振り返ります。

建築研究会:サヴォア邸の空間的研究/Reプロジェクト/子どものまち・いえワークショップ提案コンペ報告

災害対策研究班:郡山市防災プロジェクションマッピング/南相馬市小高区の緊急時避難経路の明確化/同区浦尻行政区の復興活動/時間軸と空間軸で考える避難所運営

空間建築班:最小空間の研究/

ごあいさつ

本日は,建築研究会北桜祭展示「建研のこれまでとこれから」にご来場ありがとうございます。皆様とお会いできることを楽しみにしておりました。

日本大学工学部建築研究会は,日本大学第二工学部(後の工学部)が福島県郡山市で入学式を挙行した4年後の1954年に創設されました。学内唯一の建築系サークルであり,会員のほとんどを建築学科生が占めています。建築研究会の活動は,設計や建築史の研究,建築見学会など多岐にわたり,建築界の興隆を建築学科に伝播させる役割を担ってきました。 1960年代には学生運動の流れもあり,一時は存続の危機を迎えたようですが,諸先輩方の尽力によって,今日の建築研究会は存在します。

来年で建築研究会は,65年目を迎えます。経済活動を伴わない組織において,活動を継続し今日まで活動してこれたことは,一重に学生の熱意の高さによるものが大きいのではないかと考えています。これからも先輩方同様一心不乱に活動していく所存ですので,温かく見守りいただければ幸いです。 どうぞお時間の許す限り,ごゆっくりご覧くださいますようお願い申し上げます。

日本大学工学部建築研究会第64期会長 後藤寛尚

建築研究会

時代とともに変化してきた建研。 建研はこれからどこへ向かっていくのでしょうか。

建築研究会の概要

建研年表

建築研究会では,これまでを振り返るために年表を作成しました。

しかしながら,建研にはこれまでの活動を示す資料は少なく, 当時の様子を窺い知ることはできません。 ご来場の皆様に,当時を知る方がおられましたら, お近くの会員にお声がけください。

1889 日本法律学校(現・法学部)が 飯田町(現・飯田橋)で創立

1947 専門部工科(現・工学部)を 福島県郡山市に移転

1954 日本大学第二工学部建築研究会創設

1966 第二工学部を工学部と改称

2015 災害対策研究班と空間建築班が誕生

建築研究会機関誌「建築」

創設間もなく発行された建築研究会機関誌「建築」には,今日では考えられないような当時の活動が残されています。 当時の我々先輩方の活動記録をご覧ください。

建研の1年間

建研の班活動

建築研究会の活動は,主に班単位で行われます。 「空間建築班」,「都市建築班」,「災害対策研究班」に分かれ, それぞれ自主性をもって活動しています。

建築研究会 新機関誌「新建研」

発行は11月下旬を予定しています。 数量限定で販売していますので, ご希望の方はお近くの会員にお声がけください。

1年生による サヴォア邸の空間的研究

ル・コルビュジエ(本名シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ)は,近代建築の三大巨匠のひとりです。コルビュジエが設計した住宅の中で,最も代表的な作品がこの「サヴォア邸」。

この住宅は,コルビュジエが1926年に提唱した「近代建築5原則」が,全て表現されていることで,今もなお注目を浴び続けています。近代建築5原則とは,ピロティ・屋上庭園・自由な平面・水平連続窓・自由なファサードの5つを指します。

この頃,石やレンガを積み上げる組積造が主流でありましたが,技術の進歩により,鉄筋コンクリート造や鉄骨造が普及し,全く新しい素材が導入されました。コルビュジエは,それまでの主流から離れた提案をしたモダニズム建築を提唱した一人でもありました。

災害対策研究班

災害対策研究班は2015年に設立され2年目を迎えます。 ここでは調査研究や復興活動の取り組みの一部をご紹介します。

01 災害対策研究班内の 3グループ

災害対策研究班(DRM:Disaster Risk Management Lab.)は,現在「地域防災」「住環境」「復興デザイン」の3グループで活動しています。

「地域防災」では,主に日大周辺の災害リスクの調査や,地域住民への災害意識の啓発を行っています。 「住環境」では避難所の住環境の理想像を模索し,それに付随する避難所の運営者に対してのマニュアルを作成を目的として活動しています。 「復興デザイン」では,主に福島県南相馬市の小高区の復興について調査し,今後の地域社会の在り方を研究しています。

02 DRMのこれまで

DRMは,2015年12月に当時1年生だった私たち3年生が設立して以来,大学周辺の起こりうる災害情報を模型に投影したプロジェクションマッピング,南相馬市小高区市街地の逃げ地図作成,各避難先での住環境と避難障害のまとめ等を行ってきました。これらの活動は,大学祭において展示を行ったり,外部に向けて公表を行っています。

福島県浜通りの復興の諸相(復興デザイングループ)

03 小高区復興デザインセンターと 私たち復興デザイングループ

最初に,東日本大震災により原発をはじめとする科学技術を基盤とした地域社会の在り方そのものが問われた背景をもとに,日本が抱える社会問題の解決に都市社会技術として,包括的に結び付けた新たな問題解決手法を模索すること,及び,都市・地域・コミュニティ・国土レベルでの展開可能な新たな都市社会モデルを構築し,そのモデルを展開するべく,復興デザインという研究体が誕生しました。そして,東日本大震災と福島県第一原子力発電所の事故からの復興に向けた研究・活動を行うため,復興デザインの研究体に順じた小高区復興デザインセンターが福島県南相馬市小高区で開所されました。

また,東日本大震災を経験した私たちが,これから復興事業が進む福島県南相馬市小高区で活動する上での活動理念と類似していることから,復興デザインの名を拝借して,私たちのグループ名に設定しました。

04 福島県 南相馬市小高区

福島県で活動を展開していく建築学生として,脱原発依存型社会の在り方を新しく模索しなければならないと考え,福島県南相馬市小高区で活動を始めました。

南相馬市は鹿島区,原町区,小高区の3つの区からなり,小高区は海と山に囲まれています。震災時には,津波が3㎞離れた小高区の市街地まで押し寄せました。小高区の全域が,福島第一原子力発電所から20㎞圏内にあるため,警戒区域に指定され,小高区民は区外での避難活動を余儀なくされました。震災前,小高区には12,842人の人が生活していました。

2016年7月12日に避難指示解除準備区域が解除され,現在(2017年8月12日現在)は約2,100人の人が生活しています。現時点で,JR常磐線や,高速バスなどの交通機関,小高産業技術高等学校,小高中学校,小高小学校をはじめとする4つの小学校などの教育機関が,整備・再開されましたが,再開していない事業所も相当数あり,依然として復興まで険しい道のりがあります。

05 小高区の復興の取り組み

学校再開

2016年7月12日に避難解除準備区域を解除されて以降初めて,小高産業技術高校・小高中学校・小高小学校が再開しました。特に小高小学校は,小高区内にある金房・福浦・鳩原・小高の4つが統合されていて,一クラスに先生が4人いるという見慣れない光景が広がっています。

伝統行事等の再開

住民が徐々に戻ってきたことを受け,おだか秋まつりや浮舟祭り,相馬野馬追などが行われました。まだ小高に帰還していない人々が,行事を通して小高とつながる場となっています。

文化財のリストアップ

小高区の魅力を再発進すべく,歴史的建造物や遺産のリストアップや,地域に伝承されている話の聞き込みなどを行っています。

06 南相馬市小高区 浦尻行政区の現状

水平線を望むことが出来た浦尻の浜辺には,海を隠すように大きな堤防の建設が今まさに進んでいます。海と協調して暮らしてきた浦尻の面影は,堤防の建設とともに薄れています。また,原発事故による住民の避難と復興事業の遅れは,行政機能の衰退と地域コミュニティの崩壊を引き起こしています。営農や土地の所有権に関する問題,獣害や放射能による第一次産業への被害など浦尻を取り巻く環境は依然として厳しいものです。

避難指示準備区域が解除された後,復興にむけた様々な活動が行われました。その中で,復興事業を進めるにあたり新たな地域運営のシステムが必要となっていることが挙げられました。今の浦尻において,そこに戻った人と戻らない人との関わりが重要なものとなっています。活動を始めた当初は,行政機能の復興に向けた動きが主な活動でしたが,今では地域コミュニティ再生の第一歩として,サロンの開設に向けた提案など,人の心に寄り添った環境の復興にむけた活動が動きだしています。

07 URAJIRI CAMP

浦尻のこれからを担う世代とこれまでの浦尻を支えてきた世代が交流する場を作る。

そのために,私たちDRMは浦尻未来検討会で,URAJIRI SUMMER CAMPの開催に向けた説明会を行いました。

今回のWSでは私たち建研と小高復興デザインセンター,浦尻住民の方々,そして小高区を中心に活動しているLLOという高校生グループを対象に行いました。

プログラムについては,大まかに「浦尻をまなぶ」「浦尻を楽しむ」「浦尻でつくる」の3つに分けて構成していきました。 「浦尻をまなぶ」では,「浦尻あるき」や「船から浦尻を見てみよう」などが企画されましたが,荒天のため,「船から浦尻を見てみよう」は「請戸漁港見学」に変更を余儀なくされました。その後に,高校生と大学生が復興に対する思いなどについての意見交換,議論を展開していきました。

「浦尻を楽しむ」では,「BBQ」や「浦尻の郷土料理を食べよう」などを企画し,住民を交えて盛大に開催することができました。

「浦尻をつくる」では,前述の「浦尻あるき」などを通して,高校生が浦尻に何が足りないのかを話し合い,そこで出たアイディアをもとに,「光る看板作り」を行いました。時間の都合上「光る看板」は,完成には至りませんでしたが,今後一緒に作る機会を設けるつもりでいます。

今回のURAJIRI SUMMER CAMPは,こちら側の準備不足など,自分たちの力量不足を痛感しましたが,復興デザインセンターや浦尻住民の方々のお力添えで何とか完遂することができました。また,高校生と大学生が復興に対する意見を交換した会議では,お互いに刺激しあい,次の活動につながるきっかけを作れたという点で,大変有意義なものになったのではないかと感じています。

08 浦尻住民の動きと 地形模型

行政機能が麻痺した役所に代わり,住民が主体となって行政区内の清掃や草刈りを行っています。また,未来に震災の記憶を残す活動として,語り部の活動も行っています。そのほかに,復興デザインセンターと共に,浦尻未来検討会で浦尻の復興に向けた話し合いが行われています。

〈浦尻地形模型〉

小高復興デザインセンターから私たちに依頼があり,浦尻行政区の1/1300地形模型を製作しました。 この模型は等高線を元に制作されているため,浦尻の地表の起伏を一目瞭然にでき,浦尻の地形イメージの共有、将来の復興計画の構想を円滑に進められます。

今後、浦尻未来検討会では浦尻住民が実際に模型を囲んで、復興デザインセンターから提案された復興案について議論を行われます。 普段この模型は,浦尻公会堂に常設されています。

09 逃げ地図
(PNT東北学生支援プロジェクト2016助成事業 「緊急時における避難経路の明確化」)

高齢者が多い小高区内で,避難経路は計画されているのでしょうか。今後起こるかもしれない地震,台風,原子力災害等に備え,緊急時における避難経路の明確化は急務であると考えました。

この「緊急時における避難経路の明確化」の調査研究を行うにあたって,Print Next Troopsという団体から助成を受け,聞き取り調査と街あるき調査を開始しました。聞き取り調査では,小高区市街地に現在住んでいる人,震災時に住んでいた人を対象にアンケート調査を実施しました。アンケート調査では,東日本大震災当時、今後起こるかもしれない災害についてそれぞれどのように避難するかを聞きました。

その後のワークショップで,調査で得た情報(震災当時の避難状況等)を地図に落とし込みました。災害リスクはレイヤー(層)を地図に重ね,可視化を図りました。レイヤーを用いることで,状況に応じた拡張性を持たせています。

時間軸と空間軸で考える避難所運営(住環境グループ)

10 避難所調査研究の アウトライン

避難には,一次避難と二次避難があります。一次避難とは,主に災害時に避難する事や避難所に向かうことで,二次避難とは,仮設住宅やみなし仮設などに住み生活する事です。スムーズに二次避難へと移行するのが理想ですが,実際は二次避難を迅速に行えないことがほとんどです。つまり一次避難の生活が長期化し,避難生活をする場所は,体育館や公民館などが中心となります。

このように,避難所は避難する人々の暮らしの拠点となるわけです。私たちは,ビッグパレットふくしまを中心に住環境を調査しました。他の避難所との比較や,ビッグパレットふくしまで実際に起きた様々な問題を検討しました。 今後は,避難所のより良い運営の方法を提案いく予定です。

11 建築家による 住環境向上の試み

様々な被災地の災害支援を行っている建築家がいます。建築家坂茂は,兵庫県南部地震(1995)を経て,ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)という建築面で被災地支援するためのボランティア組織を立ち上げました。

彼らの活動の中に、間仕切りシステムの開発,避難所への提供があります。「紙管」と布で構成される避難所間仕切りシステムは,新潟県中越地震(2004)や福岡県西方沖地震(2005)の避難所で実践され,東日本大震災(2011)時にも東北地方へ提供されました。

東日本大震災では,ビッグパレットふくしまの避難所にも紙の間仕切りシステムを導入し,目線より上で間仕切りをすることでプライバシーを確保し,住環境を整えました。 また坂茂は,紙の間仕切りシステムだけでなく,紙管を使った《紙の教会》(神戸市,後にニュージーランド・クライストチャーチに移設)や、被災者のための仮設住宅《紙のログハウス》(神戸市内)などの設計でも活躍している建築家です。

12 ビッグパレットを 中心とした避難施設の比較

避難所調べをしていると問題点が山積みであることがわかりました。その問題を解決していくことが,避難所の住環境改善に繋がることから,整理する必要がありました。避難所の問題点について話し合った結果,徐々にある傾向が見えてきました。

避難所の多くは,公民館,屋内運動施設,屋外運動場の3タイプに分けられます。すなわち,ビルディングタイプによるものです。それら3つの特徴を明確にするために,私たちが訪れたり見たりしたことのあるものの中から,3つの避難所を選定しました。その結果,公民館は「久之浜公民館」,屋内運動施設は「さいたまスーパーアリーナ」,屋外運動場は「あづま総合運動公園」になりました。

これらを大学から近い「ビッグパレットふくしま」を中心として比較していきます。

13 ビッグパレットの ボリュームスタディ

現在私たちは,ビッグパレットの模型を使って,時系列(初期,中期,後期)別の避難所の様子と,避難生活空間の大きさを研究しています。避難所の時系列を研究することによって,どの時期にどのような問題が生じるのか,避難生活空間を研究することによって,ユニット(世帯など)が入る個数や人と空間とのスケール関係を知るためにビッグパレット全体のスタディ模型を作りました。

ビッグパレット内の避難時におけるゾーニング計画案

私達は避難所の時系列を調べる中で,中期に計画の余裕ができることを知りました。 整備された避難所内でさらなる快適な住環境を求めて,ビッグパレットを元にゾーニング計画を提案しました。

14 避難所で使えるかもしれない 身の回りのモノ

避難所では,あらゆるものが不足しています。そんな中,持ち合わせている身の回りのモノで何ができるでしょうか。 あなたも周囲を見渡し,一度考えてみませんか。

・ゴミ箱を椅子わりに使う
・椅子をテーブル代わりに使う
・本で境界線を作る
・コロコロをテープの代わりに使う

15 避難所の再現 空間スタディ

(会員後藤寛尚の実体験を元に再構成)

この避難所の再現空間は,メンバーの後藤君が実際に体験した避難所生活を再現したものです。ダンボールで壁を作る時,掃除用具のコロコロをテープの代わりに使っています。本来テープとして使う道具を持っていないなかでこのような発想ができたのは,物資不足の状況だったからではないでしょうか。後藤君は,このような避難所の生活空間を作る時,身の回りのモノを普段とは異なる使い方をしました。

このスタディも,代用品で壁や境界線を作り,居心地は良いか,プライバシーは確保出来るかの研究です。

地域防災プロジェクト(地域防災グループ)

16 防災まちあるき

2016年10月10日実施

福島県郡山市で活動をしていく中で、大学周辺を歩いて調査しました。そこで、避難時の妨げになりそうな場所を確認し、タグや付箋を用いて危険箇所を示しました。

17 地域防災模型 プロジェクションマッピング

福島県郡山市の地域模型を作成し、災害ポテンシャルを調査・研究するものです。プロジェクターを用いて、災害情報の可視化を図りました。映像を用いることで問題の認識や、情報の共有等を行っています。航空写真、水域図、洪水浸水想定区域図、ハザードマップ等のコンテンツを投影しています。

第7回 子どものまち ・いえ ワークショップ提案コンペ

子どもたちに建築やまちを考えてもらうワークショップのコンペティションに出品しました。 災害対策研究班と空間建築班の2案をご紹介します。

災害対策研究班 「KidCu都」

子どもたちに防災や建築について考えてもらうために,このワークショップコンペティションに復興デザイングループとして参加しました。南相馬市小高区で学んだことをもとに,このコンペティションで活かせるのではないかと思いチームでこの課題に取り組みました。

完成した案を持って建築会館(東京都港区)でプレゼンテーションを行いました。良い結果は得られませんでしたが,人に伝えること,コストコントロールを重視したプログラムを考えることで実現性のある企画の作成について学ぶことが出来たと自負しています。また,子どもを対象にしたワークショップでは,子どもの主体性や好奇心を煽るプログラムを構築する必要があると感じました。これらを学び,体験することで,復興に関する活動の実現性の検討に役立つと考えています。

空間建築班 「小さな巨人たち〜つくって,こわして,なおして〜」

空間建築班

「建築」と「空間」は切っても切れない関係にあります。 空間建築班では空間を建築的視点から考えていきます。

空間建築班とは

空間建築班(以降、空間班)は2015年の冬に前身となる美術館班から災害対策研究班と空間班の2班に分かれ生まれました。 空間班は、美術館班の時にはカバーできなかった美術館以外のビルディングタイプの建築の研究や広義での建築空間についての 研究を行うために新しく設立されました。、2年目となる今年度は後輩にも恵まれ、班や建築研究会全体の活動も増え昨年度より 有意義な時間を送れたのではないかと思っています。

「建築」と「空間」は切っても切れない関係にあります。「空間」という言葉は色々な意味をもっていますが、私たち空間建築班 では空間を建築的視点から考えていきたいと思っています。昨年は、近代建築の巨匠ル・コルビュジエの建築作品を中心とした モダニズム建築の研究や班員が興味を持った空間をデッサンしてその空間について言語化する練習を行いました。今年度は、も っと身近な空間について研究するために学校建築についての研究を始めました。さらに最小空間の研究として日本大学工学部の キャンパス内にある仮設警備ボックスの調査を始めました。この二つの研究はまだデータ収集の段階ですが、これからの展開に よっては面白くなると思っています。

昨年度の展示作品

飯坂旅行

2017年2月2日、空間建築班では春休みを利用して日々の疲れをとるため飯坂温泉へ旅行してきました。

当日、飯坂は大雪であったため当初の旅程を縮め午前は温泉につかり、午後は旧堀切邸を見学して解散となりました。 飯坂町に行くことで、福島県の大学に通う学生として少しでも福島について興味を持ってもらえたかと思います。

班員による飯坂のデッサン

班員の読書本紹介

日本大学工学部における最小空間の研究ー仮設警備ボックスの研究ー

学校建築特集

Reマルシェ

Re-をコンセプトに、この北桜祭でマルシェを開催しています。未来やつながりを考えたマルシェの取り組みをご紹介します。